肉とビールとパンケーキ by @sotarok

少し大人になった「肉とご飯と甘いもの」

僕と nequal と Crocos

もう、少し経ってしまったのだけど、僕たちの作った 株式会社クロコス / Crocos, Inc. が、先月、ヤフー株式会社 / Yahoo! JAPAN に買収された。
クロコスは、PHP界隈で出会ったエンジニア5人と、元楽天のシリアルアントレプレナーの岡元淳さん・小澤隆生さんの7人で2011年2月に設立した会社で、従業員10人、企業向けに Facebook 関連のウェブサービスを提供している。


誰得かわからないけど、超ニッチなニーズと記憶と記録のために、僕と nequal と Crocos についてちょっと振り返ってみようと思う。少しばかり長くなるかもしれないけれど。

ちなみに、ちょっと仕事の方が爆速で動きすぎて、ブログを書くのが遅速になっていたら、けんすうに先を越された。なぜか当事者なのに二番煎じ感が出てきている。。
その上、iPhone 5 もそろそろ発売されるし。(関係ないけど)

まぁ、もうちょっと、ぐだぐだと、その周りのことについて書いてみる。思い出話みたいなものだと思ってほしい。


※書いてたら、当時のことを思い出してめちゃくちゃテンション上がってきて、めちゃくちゃな量書いてしまったので、ホント誰が読むんだみたいな感じになっているけど、それはそれとしてまぁ、いいか。そして、寝かしたりしてたら日が経ったりした。

nequal

そもそも、nequal (エヌイコール) というものについてちょっと書く。

"PHP界隈で出会ったエンジニア5人" と言ったけど、その5人は、以前から nequal という、なんだろう、よくわからない「エンジニア集団」とか名乗る、まぁ、要するにサークルみたいなものをやっていた。
nequal は、僕が同じくらいの年代のエンジニア同士、一緒にサービスを考えたり、ライブラリを公開したり、勉強会を開いたり、ぐだぐだチャットしたり、なにかしら楽しいことができればいいなーと思ってやっていたもので、PHP界隈を中心に活動してた。

riaf と nequal

きっかけは、僕が同世代のプログラマーと仲良くしたかったというのがあり、当時、僕もPHPでようやくサイトとか構築できるようになってきたくらいのレベルで (はずかしながら!)、PHPフレームワークEthnaを勉強しはじめ、PHP勉強会に出はじめ、技術的なブログとかをよく読んだり書いたりするようになった時期だったのだけど、PHP について調べたり Ethna について調べたりするとよく検索にかかるブログがあった。その「WebProgを極めて居酒屋をつくる」というブログをやっていたのが riaf だった。

なんかいろんなコト知ってる人だなーと思っていたらある日「ハタチになりました。ハタチになる前に1個サービスリリースできたぞー」とかいうブログ記事を書いてて、え、この人そんな若いのかよ!と衝撃を受けた記憶がある。当時僕は22歳だったので、なんか色々悔しかったんですよね。基本的に嫉妬をするタイプなので。

で、ちょっとしたきっかけで、Twitter で DM をしたのが最初の出会いだった。


そこから、なんか一緒にやろうよ、という話をして、いいね楽しそうだね、ということになり、2日間くらい色々なんて名前にするかで悩み、大晦日前日の 2007年12月、 nequal.jp というドメインを取得して、nequal を立ち上げた。

そこからしばらくは、僕は自分の立ち上げた DEADLINETIMER のおもりをしながら *1、2人でなにかやろうという話をしながら、IRCのチャットルームに、僕と riaf と bot 2匹という、非常に寂しい状態で1年弱過ごした。

kensuu

けんすうとの出会いについても、何か書くべきなのだろうけど、そう、えーっとひとつ言えることがあれば、ミルフィール、ほんとすみませんでした。ありがとう。今思えば、これは後にクロコス立ち上げのきっかけとなる大事な出会いだった。


当時、riaf は北海道にいたので、nequal をつくって以来初めての上京で、せっかくだから会おうと、そしてけんすうんところに行ってみよう、となった。いつものチャットの口調から、ちっこいやつだとおもってたのにドデカくてイメージが崩れた覚えがある。どうでもいいけど。

当時のブログも残っている。どうやら、傘を忘れたらしい。なつかしい。

ちなみに、nequalは少なからずロケスタをイメージしていたところがあった。ネットで何か目立っていて、複数の、別の会社に所属する人たちがなにかゆるくつながりながらサークル的に存在しているのは何か楽しそうだった。そういう意味でちょっと自分の中では無意識に動きを追っていたところもあるし、まぁ、きっかけってのはどこからあるのかわからない。

ともかく、けんすうとはこの頃から、Skypeでたまに話したり、こんなWebサービス考えたんだ、とか、「nanapiっていうのリリースした!」とか、そういうやりとりをするような関係になった。

wozozo

そんなことをしてるうちに仲間になったのが wozozo という、何を考えてるのかわからないやつだ。突然、riaf が IRC の nequal チャンネルに連れてきた。riaf 曰く、なんか面白そうだから、だったのだけど、結果、たしかにおもしろかった。

08/09/20 01:17 <#nequal@ircnet:riaf> wozozoの人とかここに来ないかな
08/09/20 01:17 <#nequal@ircnet:riaf> めちゃんこ無理なこと言ってくるけどw
~~
08/09/20 01:24 + wozozo (wozozo!~wozozo@www717.sakura.ne.jp) to #nequal@ircnet
08/09/20 01:24 <#nequal@ircnet:riaf> kita-w
08/09/20 01:24 >#nequal@ircnet:sotarok< ぱちぱちぱちぱち
08/09/20 01:24 Mode by riaf: #nequal@ircnet +o wozozo
08/09/20 01:24 >#nequal@ircnet:sotarok< おめでとうございます!!!
08/09/20 01:24 <#nequal@ircnet:wozozo> なんだここ
08/09/20 01:24 <#nequal@ircnet:riaf> やっとボットよりも人間の方が多くなったぞ!
08/09/20 01:24 >#nequal@ircnet:sotarok< あなたは今、nequalの一員になりました!!!

まぁそんな強引な話で、nequalに引き込んでなし崩し的に nequal に入ることになり (本人がどう思っていたのかは知らず)、ここから、またぐだぐだチャットをする日々が始まった。

ちなみに、wozozo と初めてチャットで話したとき、僕は、「バカっぽそー」という第一印象があり、wozozo は wozozo で僕のこと「高圧的なやつだ」という第一印象を持っていたらしいが、うん、両方とも、だいたいあってる。
でも、wozozo と僕は、wozozo のニート時代に 1ヶ月くらいふたりで毎日のようにカフェにこもり (僕は当時学生で春休み)、僕はなぜか C++ 本を読み、wozozo はひたすらサービス開発をする、という日々を過ごしたこともある。周りからはそうは見えないかもしれないが、個人的には、それなりに仲は良いと思っている。

yuchimiri と Fivestar

nequal はそれから、何人か増えたりなんだりしながら、なんだかんだ最終的には9人くらいになった。

Fivestarは、当時僕がバイトしてたアシアルで出会ったのだけど、同年代くらいというのは知っていたのだけどあまり絡んだことがなかった。いつぞやのPHPカンファレンスで、yudoufuが「なぜあいつを誘わないんだ」と言ってきたから誘ったら謎の快諾でnequalに入ることになった。

yuchimiri は nequal で主催したモダンPHP勉強会にきてて、ちょっと前にドラ叩いてたし、同年代くらいだったし、誘ってみて、nequalに入ることになった(ぉ

ちょっと描写が雑になってきたけど、みんな大事な仲間ですよ。

小澤さんと岡元さん

それから nequal で色々サービスを考えたり、勉強会をしたりしながらゆるゆると活動する日々は続いた。
最後まで学生だった僕と riaf が卒業してからは、お互いそれなりに仕事も忙しかったし、学生の頃のようには時間使えなかったけど、まぁそれでもみんなでいろんなことを考えてたし、ちまちまサービス作ってたりもしていた。

そんな中、wozozo が2年がかりくらいで作っていた、部屋写真を投稿する reroom [リルム] - 部屋じまんコミュニティ - というサービスをリリースした。このサービスは良くできていた。すぐに使ってくれるユーザも増えたし、雑誌や媒体で紹介されたりもしていた。そういえばカメラもってフランフランに行って特集やったりとか、やったてた。楽しかったな!
それまで、nequal は、各自自分で考えたサービスとかを nequal 名義で出していたけど、一緒に何か作るみたいなことはほぼしてこなかったのだけど、reroom にはいろんな可能性を感じていたし、wozozo以外のメンバーも、あれこれ口を出して、全体として、reroom育てたいね、という雰囲気もあった。
だいたい何かサービスを出したらけんすうに報告していたのだが、reroomもご多分に漏れず話してみた。けんすうは reroom をすごく気に入ってくれた。


その流れで、「小澤さんを紹介するよ」と、けんすうに紹介されて会ったのが、id:ozarn こと、「小澤隆生」だった。


古くからのネット業界・スタートアップ業界ではどうやら有名らしかった小澤さんだけど、ただのエンジニアの僕らは聞いたこともなかったし、はてダを見て、なにか怪しい人というか、面白そうな人であることくらいの認識しかなかった。あと、nanapiのパトロンやってるということも知っていたが、そもそもパトロンってなんだかよくわからなかった。


けんすうに紹介してもらって小澤総研に話を聞きに行ったのは、それこそ、人生の転機になる出来事だった。

なんとなく会いに行った

最初、nequalで起業したいという話をしていたわけでは全くなかった。reroomはたしかに育てたいと思っていたし、チャンスがあれば何か収益化する種を見つけたり、もっと面白いことをやりたいと思っていたけど、別に具体的なプランがなにかあるわけではなかった。
小澤さんは「個人投資家」で、どうやら投資や助言を求めて小澤さんの元には、日々、起業家や起業家の卵のような人たちが話をしにきているらしかった(後から知ったのだけど)
そういうわけで、ある意味、僕らも同じような存在だったのだろうけど、僕らは全く金を稼ぐ方法も知らず、単にエンジニア同士仲良くやってるよねという存在だったので、なんなんだという感じだったかもしれない。今思えば。でも、それが逆に良かったのかも?


小澤さんには最初、挨拶と、nequal や reroom の説明をした。僕らが、普段どんなことをしてるのか、reroom 今後どうしていったら楽しいと思っているのか、など。
それから聞いた話が、衝撃的だったのを覚えている。
その後、小澤さんは、自分の話をしてくれた。新卒で入った会社の仲間と日々起業ネタを考える会を開き、そのうちビズシークを立ち上げ、楽天に買収され、そしてその後の楽天での活動など。すごくワクワクしたし、ドラマみたいな話が現実にあるもんだなーと思った。*2
とにかく、面白かった。小澤さんは、話がやたらうまい人だった。しかし、同時に、とてつもなくうさんくさかった。ここだけの話だが。


その後、僕らは和民に入って色々話した。
テンションあがっていたし、たとえば、reroomをビジネスにするにはどうしたらいいんだろう、といった話を、的なところでした。そして、自分たちでビジネスをすることや、もっと素直に言うと、お金を稼ぐことに対して興味がわいていた。これまで、「起業すること」みたいな話を聞いたことはあったしそういう文献を読んだこともあったけど、「お金を稼ぐこと」を体験談を元に生々しく語ってくれた人はいなかった。
その後小澤さんに出したメールとか、テンションあがってて当時のことを思い出すなあw


その後小澤さんとは何度かメールでやりとりをして、「今度、エンジニア向けのビジネス講座でもやりましょうか?」とメールをくれたことをきっかけに、また会いに行くことになった。
このとき「reroomを本気で育てたい!」と意気投合したのが、nequalの中でも、僕含めて、先に紹介した riaf, wozozo, fivestar, yuchimiri の5人で、その5人で会いに行くことにした。このときは、少しでもこちらからも何か言えないかなーと思い、みんなで無い頭をひねって reroom をビジネスにするとしたらどうやるのか、みたいなアイデアをまとめ、プレゼン一応作って持って行った。このときの5人が、後にクロコスにジョインすることになるのだけど。

このとき一緒に会ってくれたのが、現クロコス社長の岡元さんだ。
小澤さんの昔のビジネス仲間であり、僕らにも紹介してくれた。お金を稼ぐということや、reroomの僕らの持っていったアイデアについて、色々と話をした。


相変わらず胡散臭さではあったが、小澤さんの抜群の説得力は、それらの話が、自分の体験であるということだろう。


もう一つ、小澤さんの言うことで僕が最も同意していて小澤さんを信頼するひとつのきっかけとなったのは、「会社なんて作らなくていい」という話だ。起業も、必要なときにすれば良い。たとえば、GREEの田中さんもそうだったように、何かを作りたければ、別に会社に勤めながらでもできる。エンジニアで、何か作れるのであれば、起業して会社という箱を最初に作る意味はほとんどないし、今までのように活動すれば良いんじゃないか、という話をしてもらった。
というか、そもそも、そういうことを聞いていたから、僕らはそれぞれの会社に勤めながら reroom を育てていく方向で話をしていたのだけどね。

Facebook

僕らは、そんな話をした後、7人で汚い地下の中華屋に行った。*3
そこでもいろんな話をしたが、「Facebookをやっているか」というのは話題になった。当時は、mixiがまだ楽しかったし、mixiじゃないにしても、Twitterだろう、という感じだったので、僕らは全員「Facebookはいまいち使いづらいしよくわからん」という反応だったが、小澤さんは圧倒的にFacebookに惚れ込んでいた。
その後、そんなに言うなら、という気持ちと、たしかにみんなが使いづらいと言ってるからというだけの理由で食わず嫌いみたいな面があったので、とりあえず、1週間くらい本気で使ってみるか!みたいな感じになり、使い始めてみた。


そうしたら、僕らの中で、突然のFacebookブームである。


Facebookは超面白かった。圧倒的だった。すぐに僕らは虜になった。食わず嫌いはよくないなーと反省した。今思うと、すべてのことがフラグだらけだったのだけど、小澤さんと岡元さんとFacebookと僕らがつながった瞬間だった。
ちなみに、Wildfireのような、企業向けのFacebookアプリの存在も、このときに知ったし、小澤さんがそういったビジネスのアイデアを持っている、という話もしてもらった。これがクロコスの立ち上げの動機となった。

あ、それと多分、この時期ちょうど、「ソーシャルネットワーク」の映画やってたりもした。あれはあれでかなり現実からしたら脚色された話だろうけど、間違いなくテンション上がってた。

クロコス

クロコスはそんなこんなで立ち上がった。

ちなみに、僕は、クロコス立ち上げの時点では、完全にジョインすると決めていたわけではなかった。2月7日がクロコスの創立記念日だけど、僕がクロコスにジョインするという決断をするのは、2月末くらいまで要した。wozozo なんかは、すぐにBP辞めてすぐにジョインした。この勢いというか、何を考えているのか、何も考えていないのかわからないが、やっぱり wozozo のすごいところだとおもう。
他の3人もそれぞれ決断をしていたけど、僕は当時 GREE での仕事も好きだったし、性格上色々手を出しすぎることもあるせいでたくさんやるべきことがあったし。なにより、就職してからその時点では11ヶ月だったので、早すぎると思ったこともあり、本当に最後の最後まで迷った。エンジニアとしてもっと突き詰めていくのか、ビジネスの方面を学んでいくのかの分岐点になるとも思っていた。
だけどまぁ、こういう機会があったもんはしょうがないし、そうそう人生で何度もこういうことが起こることもないなーと考えて、クロコスにジョインすることを決めた。

結果として、楽しいことになってるし、このときの判断は、自分の人生の選択の1つとして、多分、よかったんじゃないかな。
まぁ、そう決めたとはいえ、自分の持っている仕事をある程度まとめてから、僕がジョインしたのは2011年6月だったのだけど。


クロコスはバランスの良いチームだった。
小澤さんは道筋を作り、岡元さんはエンジニア以外のすべての仕事をこなしていたし、僕らはモノを作る。オフィスは小澤邸の地下室、完全に居候。
僕らはエンジニアだけど、仕様も考えたし、CSもしたし、広報もしたし、インフラもやりつつコードも書いたし、時にはデザインもした。エンジニアはエンジニアで、個性的だったけど、みんな自分のこだわるポイントが違っていたから、補完しあえるチームだった。

クロコスでの活動と、ターニングポイント

クロコスは、そんなわけで、最初から、Facebookで、企業向けに何かしらアプリケーションを提供する、という大枠は決まっていたものの、そもそもFacebookアプリみんな作ったことないよね、というところで、とりあえず何かアプリ作ってみるか、で出してみたモノが「Crocosスケジューラ」や「Crocosスポット」だ。
このあたりは、収益につながるアプリではないけど、とりあえずFacebookとコネクトするとこんなことができるよね、というあたりを色々探りながらリリースしたアプリだ。スケジューラなんかは、ただの日程調整アプリなのだけど、既存のWebサービスをソーシャルとつなげるだけでもなかなか面白く、それなりの人に使ってもらえたし(今も使ってもらえている)、自分たちも、ソーシャルの面白さの端っこをつかめたような気がした。

その後、企業向けに、ヒアリングをしたりニーズを拾い、Crocosマーケティングの前身となるCrocosカタログ、Crocos懸賞をリリースし、マーケティングスイートとして、クーポン、くじなどのキャンペーンアプリ、あとはベーシックなTwitterYouTubeアプリなどのラインナップをそろえていった。


クロコスは、一見、まっすぐ進んできたようにも見えるが、その途中では重要な判断がいくつかあった。


ひとつは、ECアプリを作ることをやめ、Crocosカタログを作ったこと。
これは重要な判断だった。2011年5月ごろといえば、Facebook広まり始めたころで、一番最初、クロコスとしては、Facebookページ上で展開できるECアプリを作ろうとしていた(というか、わりと、作り始めていた)。ソーシャルネット上でのECは絶対来るよね!みたいなものがあったのだけど、ここで改めて考え直し、徹底的にヒアリングをした結果、ECは時期尚早と判断して、単に、既存のECプラットフォームを利用する店舗さんが、Facebookページ上で、その店舗の商品を紹介できる、という単純なアプリにとどめた。とにかく簡単に導入できることに徹した結果、想定よりも多くの店舗さんに使っていただけた。
このとき、最初のユーザさんには、Facebookグループで色々フィードバックをいただけたのはすごくためになったし、こういうつながりを持てたからこそ、Crocosマーケティングの次につなげることができた。本当にありがとうございました(この場を借りて)。


もうひとつは、Crocosマーケティングを有料化しよう、という話があったときだ。
去年の年末頃から、そういう話もあり、有料化の機能の実装を進めていたが、これも、途中で、今じゃない、と考え直した。そこからクロコスは、短期的に儲けを出すことではなく、この分野で圧倒的シェアNo.1を獲得する、という目標に切り替え、そこにリソースを全力で向けることにした。
結果として、この判断も、良い方向に働いた。


僕は、その中で、サービスの本質を失わずサービスを育てるということを学んだ。機能追加にしても、サービスの方向性にしても、色々な意見が出る中で、なにをやってなにをやらないのかを色々考えた。
(あと、本質を見失わなければ、「迷ったら全部やる」という考え方も身につけた。)

突然の大ヒットとか奇跡的な成功とか

起業するとか、サービスをリリースしてヒットする、みたいな話は、Instagramみたいな、超サクセスストーリーというか、ドカーンとユーザ増えたね!やったね!みたいなものが目立つけど、そんなものはほとんど無いし、ほとんどの場合は、地味な作業をひたすら続けて、小さく、少しずつ、でも確実に成長させるしかないんだなーと、この1年半を振り返って思う。
少なくとも、僕たちは、いきなりの成功はしなかった。この1年半は、振り返ると短かったけど、とてつもなく濃密で長く感じた。日々本当にひたすら開発を繰り返して徐々に作り上げていく、という感覚だった。


僕らは、今、日本のFacebookページで開催されているキャンペーンでは、累計開催数、同時開催数、応募数、当選数、すべて国内1位になった。


だけど、その過程で、「俺たち突然ヒットしたすげー!」などという経験はほぼ、無かった。日々の小さな改善と小さな成長の積み重ねだった。
いや、外から見ていたらInstagramとか派手に見えるかもしれないけど、中ではそうではないかもしれないしね。たとえば、GREEとかだって、今はすごくヒットして成長した企業だけど、昔は多分小さな開発の積み重ねだったんだと思う。ほとんどの場合はそうなんじゃないかな、とか。当然なんだけど、外から見ると、結果しか見えてこないからね。
だけど、少しずつユーザが増えてきたのも感じたし、期待をかけてくれるお客さん、ひいきにしてくれる方が増えてくるのは嬉しかった。もっと満足してもらえるようなサービスを作りたいと思ったし、そのために色々考え、手を動かした。

2012年4月、企業ユーザに向けてシェアを獲得したことや、いくつか請けた受託の実績、そして開発力を評価していただいて、日本で初めてのFacebookの認定マーケティングデベロッパー(PMD)を取得することができた (このとき認定をうけたのは、日本からは4社)。

2012年6月には、リリースから約11ヶ月を経て、懸賞・くじの累計応募者数が100万人を突破した。(そして、それから3ヶ月たった今月、200万人を突破した)

買収

その後、がむしゃらにいろんなことをやって、2012年8月、Yahoo! JAPANに買収されることになった。
最初に話を聞いたときは、正直、早すぎると思った (また!)。だけど、まぁ、日本最大のインターネット企業に買収されるなんて機会は二度と来ないだろうし、えいやという気持ちだったが、そういうタイミングが来てしまったものはしょうが無い、と思った(また!)。
増資してクロコス単独でいく路線ももちろん考えていたのだけど、ヤフーと組むことで、クロコスはさらに成長できることを確信した部分もあった。そして、クロコスの持つ力を、ヤフーにとって価値のある形で提供できる可能性も、僕らをワクワクさせた。

僕は最初、自分たちクロコスが今後どうなってしまうのかとか、そうはいってもYahoo! JAPANは大企業だし、身軽に動けなくなるのではないか、など色々な不安を感じたが、現COO川邊さんと話す機会を作ってもらったときに、その不安の半分くらいは吹っ飛んでしまった。(残り半分は、ジョイン後、すぐ吹っ飛んだ)
Yahoo! JAPANの新経営陣は、圧倒的に面白い。買収前、外から見たときにも、面白いと思ったし、買収された後、中から見ても、やっぱり面白い。クロコスは、本当に良い会社に買われたことを確信した。

これから

色々言いたいことはあるのだけど、まぁ最終的には、結果で示すのが一番だと思っているのでそれはがんばるとして、スタートアップ企業としては「exit」と言われるけど、それは単に資本的な意味での exit であり、事業としては今が始まりに過ぎないと思っている。
exit が成功かどうか、と言われると、スタートアップとしては、成功なのだろう。岡元さん、小澤さんと一緒に仕事ができたこと、すばらしいエンジニアチームが一丸となってやってきた会社・サービスを評価してもらえたことは、素直に誇らしい。だけど、何度も言うが、クロコスとしては、まだまだここからが面白くなるところなのだ。

そして、ヤフーは急激に変化している。買収直前、外から感じたものは間違いなくて、中に入ってみて、さらにおもしろいことになっているというのを実感した。
ヤフーと一緒に仕事できることになったことは、クロコスにとっては、様々な面でプラスに働くと思っているし、ヤフーにとっても、クロコスがジョインしてよかったと思ってもらえるような価値を提供したいと思っている。


ちなみに、買収直前に、ここいちさんもクロコスにジョインしてくれたのだけど、クロコス超面白いので、エンジニアみんなうちに来たら良いよ。PHP書かせるけど。PHP書いても良い人は (なんだそれ!) 声かけてください。

まとめ

前置き通り、とてつもなく長くなったけど、そろそろまとめる。

僕らエンジニア5人は、小澤さん・岡元さんの2人と出会って、色々な面白い体験をすることになった。「起業」すると、細かいことから大きなことまで、色々仕事はあるのだけど、エンジニアとして事業の本質に当たる部分 (とはいえ、もちろん、「コード書くこと」だけではないよ) に注力することができたのは、間違いなく岡元さんが半端なく仕事を回す力をもっていたからであり、小澤さんがおおざっぱだけど大きな道筋をたてて僕らを導いてくれたからでもある。

と、いうわけで、ありきたりなシメになりそうなのでこの辺にしておこうと思いますが、俺たちの戦いは始まったばかりだから、今後もがんばっていきます。これからも、よろしくお願いします。

あと、お礼を言いたい人とか、いわなきゃな人とか、色々言いたい人とか、たくさんいるのだけど、それはまたの機会に。><


しばらくやることは絶えなそうだけど、そのうちまたなにかやるぞー!クロコスの未来と、次回作にもご期待ください! (何があるかわからないけどねー!)

*1:ちなみに DEADLINETIMER はわりと放置気味なのだけど、今でもかなり使ってくれる人がいて嬉しいのでそのうちなんかもうちょっとどうにかしたいんだけどね

*2:いや、「だから自分が起業したい」と安直に考えたわけではないのだけどね。個人的な話をすると、学生の頃なんかよくわからないけど起業とかたのしそーと思って何かやろうとしてうまくいかなかった経験もあるし、いや、今にして思えば、何も知らずにそんなことしようとしていて、そりゃ当然うまくいかないに決まっているのだけど。まぁそんなわけで、「起業する」と言うことに対しては、あまり積極的な気持ちはなかった。自分は。

*3:「龍府」である